2018年09月09日

【MAU】憲法【課題2】

憲法 第2課題
「あなたが課題1で論じたテーマ・事例・論点について、自分の見解を組み立てて論じなさい。」

レポートの参考にどうぞ。
全体的・部分的問わず、剽盗・転載はご遠慮ください。


テーマ「性表現規制について」

 日本国憲法21条と刑法175条は表現の自由やわいせつ表現に関する裁判で対立することがある。それは「具体的にわいせつ物が何なのか定義されていないため」に起きる問題だと前回結論付けた。本レポートではこの二つの法が存在する意味を確認しつつ、わいせつ物の定義の在り方について考察していく。

 日本国憲法21条は表現の自由を守るためにある。表現の自由は、真に精神的自由を保障するためなくてはならないとされ、「民主主義の社会を支える不可欠の前提条件」とされている。(*1)刑法175条は「性的秩序を守り最小限度の性道徳を維持すること」(*2)を目的としており、「公衆の健全な性風俗ないし性秩序を保護法益」としている。保護法益とは「刑法自体が守ろうとしている利益」のことである。その利益は守られなければならないが、「法益が保護されるからといって、刑罰の対象が広く曖昧になれば、私たちは自由に行動することができず委縮してしまう」ため、刑法は「法益保護機能」と「自由保障機能」の両者のバランスをうまく保つことが求められる。違う切り口のため、事ある裁判で対立することが多い二つの法だが、以上の理由から両方を十分に考慮することが求められる。(*3)
 次に、問題となっているわいせつ物の定義の在り方について考える。時代によってわいせつ物の定義が変化していくのは納得できることである。チャタレー事件も、メイプルソープ事件も、わいせつ物の定義が争点となる点では似た事件であったが、社会通念の変化を受け違う結末を迎えている。それは何故か、何故わいせつの概念を不変のものにしてはいけないのか。それは人々が不快に思う程度、内容が時を重ねる毎に変化するためである。法は今を生きる人々のためのものである。昔の人々の意見は、参考になりこそすれ、基準にはならない。したがって、その時代時代で同じような事件があって、しかし裁判の結果が変わるのは至極当然のことである。論争は、今この時代にそれがわいせつ物かどうか、その時の社会通念に照らし合わし、慎重に議論をかさねるからこそ起こる。私はこれを必要な行為だと思う。
 その一方で、個人的に、わいせつ物を定義するにあたって表面的なものしか材料にしない判決の仕方や、現在問題となっている青少年健全育成条案、児童ポルノ規制法の刑罰の対象の広さの在り方には少々不満を感じている。作者も認め、明らかに性欲をかきたてることを目的としている作品を切り捨てるのなら理解できるが、美を体現すべく生みだされたアート作品が、表面的な受け取り方により、出禁等になるのは何とも心が痛い。強すぎる規制や制限は、いずれ美術の文化の成長そのものを阻害するものになるのではないかとも思える。また、「思想の自由市場」いう考え方がある。これは「社会的価値のある表現であれば、社会に出ることによって、幾多の批判をくぐり抜けながら生命力を保つだろう。逆に、その時代のムードに迎合したのぞき趣味的な表現にすぎないものであれば、市場の中ですぐに淘汰され消えるだろう。その判断は、本来、思想の自由市場、すなわち市民社会にゆだねられるべきものなので、公権力が干渉すべきではない」(*1)という内容である。この考えを元に規制を緩くしすぎてしまえば、それはまた問題になるであろうが、本来表現とはそういう一面があるということを持つことは大事であると私は考える。樋口ヒロユキ氏が青少年健全育成条例に対し、「権力者に芸術的価値を云々されて指示通りの作品を作り「これを見よ」と指定された作品を見て、一体何が面白かろうか」(*4)と述べたのも、これに準じたものであろう。相対性わいせつ概念のように、制作の意図をくみ取る意識や、本来芸術や表現は見る者1人1人が感じ取るものだ、という考えを持った上で、その作品に目を向けても良いように思う。人を不快にさせる表現がそこらに溢れるのはよろしくないことであると同意できるが、美術は大切な文化の一つである。芸術家の芽を摘む結果になるのは避けなければならない。

 わいせつ物の定義を広げることは、美術界全体を窒息させることに成りえる。規制を強くすれば75条設条の目的である「性的秩序を守り最小限度の性道徳を維持すること」(*4)を守ることは容易であろうが、強くし過ぎれば、その分日本の美術が死んでいくことになる。どちらかが圧迫されるような国にはなって欲しくない。二つの両立を目指す為に、二つの考えを尊重出来るように、社会通念は事ある毎に裁判で論じられ、変わり続けなければならないと考える。

<参考文献>

(*1) 新版 表現活動と法 志田陽子 武蔵野美術大学出版局 2009
(*2) 憲法判例を読む 芦部信喜 岩波セミナーブックス21 1987
(*3) 入門の法律 図解でわかる刑法 新保義隆 大沢美穂子 日本実業出版社 2006
(*4) トーキングヘッズ叢書NO.45 アトリエサード 書苑新社 2011


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posted by 水乃みのる at 13:02| 憲法(ムサビ通信)

2018年08月28日

【MAU】憲法【課題1】

憲法 第1課題
「あなたがもっとも関心をもった憲法問題をひとつ選び、「論点」を明確にすることを目標として論じなさい。」

レポートの参考にどうぞ。
全体的・部分的問わず、剽盗・転載はご遠慮ください。


テーマ「性表現規制について」

 近年、表現の自由に関する問題で、わいせつ物となる表現の定義とはなにか議論の対象になる事がある。日本国憲法21条でいかなる表現も保障されている一方、刑法第175条でわいせつ物に対する規制と罰則が設けられている。場合によっては矛盾となりえる法のあり方から、この二つの法律は時として対立することがある。以下、この二つの関係について事例をまじえつつ検討する。

 日本国憲法とは、日本国の最高法規である。基本的にこれに反する法律(下位規範である刑法や法令)は無効とされる。この度問題となるのは日本国憲法21条である。これは「集会、結社、及び言論、出版その他一切の表現の自由を保障する」ものである。一方刑法第175条、これは「性的秩序を守り最少限度の性道徳を維持することが立法目的」(*1)としており、「わいせつな文書、図面その他の物を領布し、販売し、又は公然と陳列したものに2年以下の懲役又は二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処する」(*2)ものである。どちらも人々の権利の為に必要な法であると考えられるが、時に性表現を、表現の自由として保障すべきか、わいせつ物として取り締まるべきか、その判断が論じられることがある。これはわいせつ物とはなにか、容易に納得のいく定義付けがなされていない為である。
 わいせつ物かどうかが争点となった判例として、チャタレー事件とメイプルソープ事件を挙げることができる。チャタレー事件は昭和32年にD・H・ローレンスの作品「チャタレイ夫人の恋人」を日本語に訳した「伊藤整」と出版元の小山書店社長「小山久二郎」が刑法第175条「わいせつ物領布罪」に問われた事件である。結局この判決では、最高裁判所が昭和32年3月13日の大法廷判決で有罪判決を下す結果になった。この際、最高裁判所はわいせつの概念を、「第一は、性欲を刺激興奮させること、第二は、羞恥心を害すること、第三は、善良な性的道義、道徳概念に反すること」(*1)とし、判決した。この定義では、作者が文学・美術的な目的で作っていても、わいせつ物扱いになるということを示している。
 次にメイプルソープ事件について説明する。平成6年11月1日に原告の出版社社長が、米国の写真家「ロバート・メイプルソープ」の写真集の日本語版を出版した。その後平成11年に、商用のため、渡航していた米国からこの写真集を持参し日本へ帰国した際に、新東京国際空港在所の東京税関成田税関支署旅具検査場において、写真集がわいせつ図面、すなわち「風俗を害すべき物品」に当たると判断され、関税定率法21条1項4号所定の輸入禁制品に該当する旨の通知を受けたのが始まりであり、メイプルソープ事件はこの件の妥当性を巡り出版社社長と日本政府が争った事件である。一審の東京地裁判決では原告である出版社社長の主張を認め、処分取り消しと約70万円の損害賠償を国側に命じる判決であったが、二審ではそれらを取り消し、税関の処分を妥当とする判決となった。その後、平成20年に、最高裁第三小法廷は、二審・東京高裁判決を破棄したうえで、日本国内への持ち込みを禁じた税関の処分取り消しを命じ、国側敗訴が確定した。この判決では、その写真集は、写真芸術に高い関心を有する者による購読、鑑賞を想定しており、その写真芸術の全体像を概観するという芸術的観点から編集したものであるといえること、性描写のある写真が写真集全体に対して占める比重が低いものであること、白黒の写真であり、性交等の状況を直接的に表現したものではないこと、と判事している。
 この他にも、悪徳の栄え事件、四畳半襖の下張事件など、憲法21条と刑法175条が議論の対象となっている。いずれの裁判においても、問題となるのは「わいせつ物の定義」である。今までの、性器が露出していればアウトというわいせつ概念の在り方に対して、「相対性わいせつ概念」という学説が存在する。これはわいせつ概念は「社会の文化の発展の程度、その他諸々の環境の推移に照応し、作品の芸術性、思想性等との関連において評価判断さるべきである。」(*1)という考え方で、「性器や性行為を詳細に描写した文章や図画は猥褻物であり、そうでないものは猥褻物でない」という従来の見方とは違った切り口である。田中二郎裁判官の発言により有名になった。この概念が例の二つの事件で判断基準に使われることはなかったが、これに準じて考えると、チャタレー事件も、メイプルソープ事件も、わいせつ物には当たらないと考えることができる。現代の日本ではわいせつ表現か否かは社会通念によって判断されるのが通例である。

 憲法21条と刑法175条が対立するのは、わいせつ物の概念がハッキリしないためである。社会通念は時代によって変化していくのだ。わいせつ物の概念はその時代の社会通念によって定められ、適用される。憲法21条と、刑法175条の対立も、ここから生まれていると考えられる。

<参考文献>
・*1「憲法判例を読む」芦部信嬉 岩波セミナーブックス21
・*2憲法・著作権法 法律条文集
・裁判所HP
(http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=35764&hanreiKbn=02)


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posted by 水乃みのる at 14:47| 憲法(ムサビ通信)