2018年08月24日

【MAU】著作権法【課題2】

著作権法 第2課題
「あなたが課題1で論じたテーマ・事例・論点について、自分の見解を組み立てて論じなさい。」

レポートの参考にどうぞ。
全体的・部分的問わず、剽盗・転載はご遠慮ください。


 前回表現の自由とプライバシー権が衝突した事件の例として、「宴のあと事件」と「石に泳ぐ魚事件」をあげたが、いずれも原告側が勝訴し、さらに後者は出版差し止めという結末をむかえている。今回は、「石に泳ぐ魚事件」においての被告側・原告側の主張を中心に検討した上、出版差し止めの理由について検討する。

 石に泳ぐ魚事件では原告側の主張をほぼ全面的に認め、本件小説は原告のプライバシーを侵害し、名誉を毀損し名誉感情を侵害するなどして、慰謝料百万円、「表現のエチカ」について慰謝料三十万円の支払いおよび本件小説の出版差し止めを被告側に命じた。被告人柳美里は判決後「こんな判決が出ると、私小説というジャンルが書きづらくなる。すべての私小説は訴えられると敗訴する可能性ができてしまった」(*1)と述べている。この考え方は執筆者の立場からすれば、それなりに理解出来る感情である。被告が控訴にあたり、一審判決に対する疑問として各報道機関に送りつけたというコメント「一、モデル側が精神的苦痛を主張すれば、その苦痛の度合いは検証されることなく、無原則に容認されるのか。二、芸術的創造行為と、個人的悪意に基づいた表現、あるいは商品効果を狙った表現が同一の基準で裁かれるのか。三、著者が書き直しに応じたにもかかわらず、著者とモデル側との間に了承が成立しない場合、モデル側の要求は無条件に容認されるのか。」という文章も一見合理的主張のようにも聞こえるが、精神的苦痛や芸術的創造行為が云々よりも、その内容が書かれる人のプライバシーに関わる事柄であるのなら、事前に執筆者はその人に何故書くのかを説明して、許可を得ることは当然のことであるように思う。もしモデルの了承が得られないのなら、出番をプライバシーを侵害しない範囲まで減らすなり、改訂するべきである。宴のあと事件での判旨からの引用になるが、「表現の自由の保障とプライバシーの保障とは一般的にはいずれが優先するという性質のものではない」(*2)が真理だと感じる。変容することで壊されるような表現ならば、その程度の芸術だったと理解されても致し方ない。弁護士の梓澤和幸は著書にて「この判決は少しも私小説の可能性を否定するものではない。ただ、作中人物がモデルから自立し、別の人格を理解するだけの創作努力を作家に求めているだけなのである。」(*1)と述べている。私も創作活動をする以上その努力が必要だと考える。各報道機関に送りつけたというコメント一つ一つの事柄を検討しても、原告は反対尋問の際などに度々小説によるその苦痛の強さについて語っているし(詳しくは後述)、書き換えに関しては、「原告の人格を傷つけないような内容に変更」することを望まれていたにも関わらず、被告人柳が提出したものはそれには程遠いものだったのである。
 しかし疑問は残る。何故出版差し止めが初めて判決として言い渡される事態となったのか。公表差し止めは判決で最も衝撃を与えた部分であり、今までのプライバシー控訴に比べ、少々被告側に厳しいようにとれる要素がある。「法律家の間でも、妥当とみる見解と、出版差し止めという、表現の自由に対するもっとも致命的な制限を安易に認めた判決とする批判的な見解とに分かれている。」(*3)宴のあと事件との相違点はなんなのか。以下のように検討する。小説・宴のあとにおいては、モデルとなった人物は世間的にも有名な政治家であった。それに比べ、今回被害者となった人物は世間的にも認知の低い一般人女性である。また、今回の裁判においては、プライバシーの侵害のほか、名誉棄損という問題も生じており、文中で執拗にかかれた被害者女性の顔のあざに関する記述は、事実であるとはいえ、その描写は痛ましいもので、世間的に広まれば広まる程、被害者の心を深く傷づける。原告は裁判中何度も「生まれつき障害をもっている私の人生は一日一日が恐ろしい闘いの日々でした。(中略)私の世界が奪われたこと、破壊されてしまったことをわかってほしい、それを柳美里氏にも、裁判所にも理解してほしい」(*1)などと告げている。また読者が、記述された事柄について、真実の部分と創作された部分とを容易に区別することは極めて困難であるという特徴もある。宴のあと事件と石に泳ぐ魚事件、このふたつの裁判の結末を隔てたのは、被害者女性への配慮が、強く出た結果でもある。先ほど記述した書き換えの事が関係する問題なのだが、当時、裁判所の主導で和解のための試みが行われていたという。これが好機とならなかったことは、とても残念なことである。表現の自由は、本来なら最も大事にされるべき基本的な人権であるからである。

 プライバシーの侵害は、被害者の心に立ち直りがたいダメージと絶望を与える。どのような場合でも、芸術に近づくための行為であるかは問題ではなく、文中にその人の情報を記述するのなら、その過程として、モデルとなる人物に許可をとることはあまりに常識的で必要な行為であると考える。これらの例は、そういった良識・常識を欠如したからこそおきた事件だと考察する。

<参考文献>
(*1)「プライバシーと出版・報道の自由」青弓社編集部 青弓社 2001
(*2)「憲法重要判例集」吉田善明 敬文堂 2000
(*3)「新版 表現活動と法」志田陽子 武蔵野美術大学出版局 2009


【オススメの参考図書】


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課題1の続きなのでオススメ参考図書も前回と同じものを。プライバシー権関連のレポートには「プライバシーと出版・報道の自由 (青弓社ライブラリー)」もオススメです。




posted by 水乃みのる at 10:27| 著作権法(ムサビ通信)

2018年08月23日

【MAU】著作権法【課題1】

著作権法 第1課題
「あなたがもっとも関心をもった表現活動上の法的問題をひとつ選び、「論点」を明確にすることを目標として論じなさい。」

レポートの参考にどうぞ。
全体的・部分的問わず、剽盗・転載はご遠慮ください。


 近年、表現の自由とプライバシー権が議論の対象になることがある。本レポートでは表現の自由とプライバシー権が裁判において衝突した場合どちらが尊重されるのか研究する。

 表現の自由とは、日本国憲法21条で保障されている基本的人権の一つで「集会、結社、及び言論、出版その他一切の表現の自由を保障する」ものである。他方プライバシー権は、憲法14条以下の各規定に具体的な根拠を求めにくいが、憲法上の保護が認められるべき権利として捉えられている新しい権利の一つである。(他に肖像権・環境権など)「各人は、自分の個人的な情報や、私生活の平穏や、高度に個人的な事柄に関する人生の選択について、他者から―とりわけ公権力から―不当な干渉を受けない権利をもっている」(*1)というのが概要である。プライバシー権はおもに憲法13条の幸福追求権を根拠に主張されており、13条自体は、「個人の尊重と公共の福祉」について定めている。
 表現の自由とプライバシー権が裁判において討論の対象になった事件として、「宴のあと事件」と「石に泳ぐ魚事件」をあげることができる。
 「宴のあと事件」は、1961年3月15日、有田八郎にプライバシーを侵すものであるとして、三島由紀夫と新潮社が訴えられた事件である。三島による小説「宴のあと事件」の中でモデルとして描かれた有名政治家が、自分の私的な交友関係について小説中で公表されたことにつき、プライバシー侵害の訴えを起こしたのである。裁判所はこの主張を認め、作家と出版社に損害賠償の支払いを命じた。争点となったのは「プライバシー権の存在を認めるか、また、そしてこの裁判においてそれが侵害されているか」である。この際本判決ではプライバシー権を「私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利」(*2)と定義し、また、それがこの事件では侵害されたという判断をしている。判旨は「小説なり映画なりがいかに芸術的価値においてみるべきものがあるとしても、そのことが当然にプライバシー侵害の違法性を阻却するものとは考えられない。それはプライバシーの価値と芸術的価値の基準とは全く異質のものであり、法はそのいずれが優位に立つものとも決定できないからである」と定めたうえで、「たとえ報道の対象が公人、公職の候補者であっても、無差別、無制限に私生活を公開することが許されるわけではない」(*3)とした。この事件はわが国において初めて「プライバシーの権利」が確立した、リーディングケースとなった事件である。
 つぎに「石に泳ぐ魚事件」について述べる。被告柳美里は、1994年、月刊誌「新潮」に「石に泳ぐ魚」と題する小説を執筆した。本件裁判は、原告がこの小説の登場人物「朴里花」は自分をモデルにしたものであり、その内容が原告の名誉を棄損し、プライバシーを侵害し、また名誉感情を侵害するとして執筆者の柳美里、掲載者の新潮社などを被告として、損害賠償や同小説の出版差し止めなどを求めて提訴したものである。フィクションであってもモデルのプライバシー侵害となりうることについては、「宴のあと」を巡る裁判で損害賠償を命じて以来、もはや常識の部類に属することとなっており、今裁判でもその侵害の事実性が問われることとなった。プライバシー侵害の要件について「原告がみだりに公開されることを欲せず、それが公開された場合に原告が精神的苦痛を受ける性質の未だ広く公開されていない私生活上の事実が記述されている場合には、本件小説の公表は原告のプライバシーを侵害するものと解すべきである」(*4)とする基準を提示している。結局この問題は最高裁まで争うことになったが、最終的に、作家と出版社に損害賠償および出版差し止めの判決が下った。注目すべきは、小説に関して、出版の差し止めまで認められたケースはわが国において初めてのことだった点である。出版差し止めを退けた宴のあと事件と違い、なぜ石に泳ぐ魚事件は、差し止め判決を受けたのか。2002年、最高裁の判決において上田豊三裁判長は「公共の利益にかかわらない女性のプライバシーを小説で公表することによって、公的立場にない女性の名誉、プライバシー、名誉感情を侵害した」と認定し、また、「出版されれば、女性に回復困難な損害を与えるおそれがある」(*5)と告げている。ただし今回の場合、差し止めはオリジナル原稿についてのみ認容され、改訂版については退けられている。

 表現の自由は憲法で保障されている最も基本的で不変の権利であるが、プライバシー権の侵害は人の幸福を喪失させてしまう恐ろしさをもっている。どちらの裁判においても表現の自由とプライバシー権は同じ土俵のものではないという意見が強く主張され、モデルを守る意見が多い一方、そうではないとする意見も存在する。次回はその双方の考え方や、理論に詳しく触れていく。

<参考文献>
(*1)「新版表現活動と法」 志田 陽子 武蔵野美術大学出版局 2009
(*2)「憲法判例を読む」 芦部信喜 岩波セミナーブックス21 1987
(*3)「憲法重要判例集」 吉田善明 敬文堂 2000
(*4)「プライバシーと出版・報道の自由」 青弓社編集部 青弓社 2001
(*5)国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(http://www.glocom.ac.jp)


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芦部信喜氏の講義録で、憲法のあり方を巡る重要な判例が多く掲載されています。プライバシー権関連でレポートを書く場合は「プライバシーと出版・報道の自由 (青弓社ライブラリー)」もオススメです。


posted by 水乃みのる at 19:07| 著作権法(ムサビ通信)