2018年08月21日

【MAU】デザイン史【課題2】

デザイン史 第2課題
「モダン・デザインに深く関係する人物をひとり選び、論じなさい。」

レポートの参考にどうぞ。
全体的・部分的問わず、剽盗・転載はご遠慮ください。


テーマ「ピエト・モンドリアン」

 本レポートではピエト・モンドリアンについて記述する。彼はデザイナーではなく画家である。しかし彼が後のデザイン界に与えた影響は大きく、今日のデザインを語る上でモンドリアンはかかせない存在となっている。モンドリアンがモダンデザインに与えた影響はどのようなものか、下記のようにまとめた。

 モンドリアンは1872年にオランダで生まれた。彼が生まれた時代、美術界は印象派やポスト印象派が市民権を得ていた。彼も絵を描き始めた直後はゴッホ風の絵や点描を用いたスーラ風の絵などを描いていた。しかし1910年代にパリでキュビズムの作品を見て衝撃を受け、キュビズム絵画の線や色使いに興味を持ち、「対象物の背後にある形の真実」を求めるようになる。世界を可能な限りまで単純化し、線によって「形の中にある不変の真実」を構成しようとした。「楕円のコンポジション」(@)は彼が目指すものに近づこうとした過渡期の作品である。その後様々な試行錯誤を重ね、辿りついたのは本質への純化を重ねた結果生まれた、非対象の世界である。線は水平線と垂直線のみで、色は赤、黄、青の三原色とわずかな無彩色によって構成された。これは当時の芸術には全くない、まさに革新的な創造であったが、彼のスタイルは同じ時代の人々には理解しがたいものであった。「赤、黄、青と黒のコンポジション」(A)は彼の代表作とも言える作品である。彼はこの様式を「新造形主義」と呼び、その内容を「一、造形手段は、三原色(赤、青、黄)および非色(白、黒、灰色)の平面または直方体でなければならない。建築においては、空虚な部分が非色であり、材質部が色にあたる。二、造形手段の等価性がつねに必要である。大きさや色彩が異なっていても、それらは同じ価値のものでなければいけない。一般に均衡は、非色の大きな平面と、色または材質の小さな平面とのあいだに保たれる。三、同様に、構成にとっては、造形手段における対立の二元性が必要である。四、持続的均衡はその基本的な対立における位置の関係によって達成され、直線(造形手段の極限)によって表現される。五、造形手段を無力化し抹殺する均衡は、配置と、生きたリズムを生み出す比例の手段によって達成させられる…」(*1)とまとめている。
 モンドリアンの新造形主義は1917年に自ら結成に参加した「デ・ステイル(オランダ語で様式を意味する)」と呼ばれるグループでの活動と、その機関誌の発表によって世界に広く知られるようになった。デ・ステイルではドゥースブルフをリーダーに、メンバー全員がモンドリアンの主張した新造形主義を基本理念として共有しており、絵画・彫刻にとどまらず、建築やデザインなど様々な分野において展開された。当グループの一員で建築家兼デザイナーであるヘリット・トーマス・リートフェルトは見事にモンドリアンのスタイルを実践し、「レッド・アンド・ブルー・チェア」や「シュレーダー邸」(B)を作り上げた。とりわけ「シュレーダー邸」はモンドリアンの究極の抽象幾何学を、住宅の形をとって立体化したもので、壁や開口部など構成要素のすべてがモンドリアンの美学に奉じられ、モダニズム初期に多大な影響力を発揮した。「シュレーダー邸」は2000年に建築分野の現代の運動の証の1つとしてみなされユネスコの世界遺産に登録されている。
 モンドリアンが与えた影響は建築だけにとどまらず、ディック・ブルーナの「ミッフィー」やイヴ・サン=ローランの「モンドリアン・ルック」などにもみることができる。モンドリアンのその線で区画された色面、はっきりとした色使いは、モダンな商業デザインの領域においても模範となる素晴らしさを内包しており、1941年には『フォーチュン』誌が芸術家12人を特集した記事においてモンドリアンとデ・ステイルが取り上げられた。記事によれば、モンドリアンはタイポグラフィーやレイアウト、建築、工業デザインなど様々な商業美術に大きな影響を与えた重要人物だとされ、その影響は「書籍、雑誌、ポスター、商標、床敷材、オフィス、そしてチャイルズのテーブルトップにいたるまであらゆるところに存在する」(*2)と評された。モンドリアンは自らのこのスタイルが絵画に留まらず、いずれ空間そのものに展開されることを予期していたとされる。
 1924年に、絵画表面上において直角する形態を用い純粋な抽象を目指したモンドリアンと、空間芸術への展開を視野に入れ、対角線を導入する要素主義を提唱したドゥースブルフが対立し、モンドリアンは「デ・ステイル」を1925年に脱退することになる。雑誌は1928年まで刊行され、グループ自体はドゥースブルフの死(1931年)まで続いたが、大きな潮流になることはなかった。しかしこのグループとドゥースブルフがいなければ、モンドリアンの芸術と思想はモダンデザインの基本的なイメージとして一般化されることはなかったと考えられる。

 モンドリアンは「形の中にある不変の真実」を求めた画家であり、その作品の在り方は、様々な変化を経つつ抽象表現主義やミニマル・アートに受け継がれている。しかしそれと同時に、彼の作品はモダンデザインという視点においても大変価値のあるものであり、彼の作り出した様式は今日のデザインにも強い影響を与え続けている。

<参考文献>
(*1) 「近代絵画史(下)ゴヤからモンドリアンまで」高階秀爾 中央新書1975
(*2)「美の20世紀Gモンドリアン」ヴァ―ジニア・ピッツ・レンバート 二玄社 2007
・「モダン・デザイン全史」海野弘 美術出版社 2002
・「デザイン/近代建築史」柏木博 松葉一清 鹿島出版会 2013
・「増補新装[カラー版]世界デザイン史」阿部公正 美術出版社 1995
・「ニューベーシック・アート・シリーズ ピート・モンドリアン」スザンネ・ダイヒャー タッシェン・ジャパン株式会社 2005 


【オススメの参考図書】


モダン・デザイン全史 [ 海野弘 ]


課題1で軽めの書籍を紹介したので、今回は比較的重いのを。
重量感と厚さのせいで初見は読む気が失せるのですが、各時代のかなり詳しい情報が載っています。
レポートで詰まった方・情報が手に入らなくて困ってる方はこちらを入手すれば希望が差し込むかと思うので是非どうぞ。
なお、試験対策には
増補新装 カラー版 世界デザイン史
デザイン/近代建築史―1851年から現代まで
がオススメです。




posted by 水乃みのる at 21:24| デザイン史(ムサビ通信)

2018年08月20日

【MAU】デザイン史【課題1】

デザイン史 第1課題
「モダン・デザインの運動を選択群の中からひとつ取り上げ、モダン・デザインのプロジェクト全体が目指したものとの関連の中で論じなさい。」

レポートの参考にどうぞ。
全体的・部分的問わず、剽盗・転載はご遠慮ください。


テーマ「アーツ・アンド・クラフツ」

 モダンデザインとは近代と言う時代にデザインをどう対応させるかを巡り起こった運動から生まれた概念である。何故モダンデザインは誕生したのか、下記にモダンデザインが目指したものと、その初期の運動「アーツ・アンド・クラフツ」についてまとめる。

 近代化から生じた産業革命はイギリスで起こり、18〜19世紀にかけて製品や素材などの生産方式が著しく変化し、新素材・技術が生まれた。革新によって大量の新製品が開発されたが、美術・装飾面は従来の家具や調度品といった工芸品に比べ著しく劣っており、新しい生活様式にデザインが対応出来ていなかった。それは機械による生産でもあるにも関わらず、それまでの伝統的な装飾を外観にまとったものがほとんどで、過去の様式という事実に根拠した寄せ集めであり、全体として統一性を欠くものであったためである。いわば「デザイン」と「生産工程」が剥離していたのである。
 また、貧困とスラム街の問題も近代デザインに与えられた課題の一つである。資本主義的市場の台頭により、貧困が深刻な問題となった。貧困とスラム街の問題が一方では経済的計画の概念に繋がったように、近代デザインの計画の概念を形成させることになる。19世紀以降近代デザイン・都市計画によってスラム街を解消しようとする動きが強まり、誰もが等しく健康で豊かに幸福に生活を実現することのできる住宅、家具、日用品の計画が構想された。
 モダンデザインの父と呼ばれる英国のウイリアム・モリスは「デザイン」と「生産工程」が剥離している状況を「混乱」であるとし、批判的な立場からデザインの統一性・総合性を提案した。またモリスは、もののデザインによって人々の思考や感覚、生活を変革することができると考えた。具体的にはかつて統一性を持っていたゴシックの時代に見習い、中世的なものづくりとデザインを目標とした。かつての中世社会の工芸品は、近代工業に見られる「機械を使った精巧さ」を持たないとはいえ、そこには人間性が保たれていた。良き趣味を具体化したデザインを供給することで、人々を良き趣味を持った人間に変革することができ、かつそうした人々の生活する社会全体も変革できると考えていたのである。
 モリスの自宅「赤い家」はモリスの理想とする手仕事による生活空間の在り方を体現した住宅である。赤い家はモリスと妻・ジェーンの新居として建てられた住宅建築であり、中世的なデザインで作られている。テーブル・ベッド・椅子・絨毯などあらゆる家具や日用品のデザインを、モリスやウェッブ、バーン・ジョーンズが手がけた。ウェッブとバーン・ジョーンズは1861年4月に設立された「モリス・マーシャル・フォークナー商会」の主要なメンバーである。ウェッブは主に家具の設計や内装計画を担当し、バーン・ジョーンズは主に家具の絵付けやステンドグラスの下絵を担当した。クライストチャーチ大聖堂にある「ヴァイナーの窓」はモリスとバーン・ジョーンズの共作で、色数を抑え、明るく人物像を際立たせることで全体の調和を図った大変美しいステンドグラスである。この商会は短くも1875年に解散することになるが、その後新たに「モリス商会」が作られ、同様に中世的な手仕事による製作活動が行われた。こういった活動を経て、モリスの総合的なものづくりを目指そうとする視点は「アーツ・アンド・クラフツ運動」として広がっていき、近代デザインの始まりとなる。しかし、社会を変革するには万人に受け入れられる普遍的な価値を提供しなければならないが、モリスが重点を置いた手仕事による中世風の価値観は、入念な作業によってしか生み出されないことから、コスト面からもみて一部の社会上層の人々にしか受け入れられないという矛盾をはらんでいた。そのため、後にモダンデザインが進んでいく方向は、規格化による大量生産との調和であり、モリスの手仕事を理想とする社会は実現しなかった。
 モリスが先導した「アーツ・アンド・クラフツ運動」は1880年代になると、ロンドンを本拠とする複数のグループが協力し合って進める社会的な芸術運動となった。ウォルター・クレイン、C・R・アシュビ―、アーサー・マックマードらはアーツ・アンド・クラフツに深く関わった芸術家達である。彼らの多くは1888年に設立されたアーツアンドクラフツ展に出展したり、センチュリーギルドやアート・ワーカーズ・ギルドなどのグループ内で活動した。アーツ・アンド・クラフツ展は88年から毎年開催され、91年からは3年ごとの開催になったものの第一次世界大戦まで続き、ヨーロッパ諸国に大きな影響を与えた。アール・ヌーヴォー、ウィーン分離派、ユーゲント・シュティールなど各国の美術運動にその影響が見られる。また、ドイツ語圏では各地の分離派を経てドイツ工作連盟へとつながる。

 モダンデザインは資本主義的市場の台頭により生まれた「貧困」や、「デザインと生産工程の剥離」を解決するために生まれた。モリスの目指した手仕事による生活空間の総合的な創造は、大量生産を中心とする時代の在り方には相容れなかったものの、生活と芸術を一致させようとしたアーツ・アンド・クラフツ運動の思想や活動は後の様々な芸術家に大きな影響を与えた。

<参考文献>
「デザイン/近代建築史」柏木博+松葉一清 鹿島出版会 2013
「デザイン史を学ぶクリティカル・ワーズ」高島直之 フィルムアート社 2006
「BBSアートガイド アーツアンドクラフツ」スティーヴン・アダムス 美術出版社 1989
「アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたいウィリアム・モリスとアート&クラフツ」藤田治彦 東京美術 2009
「カラー版世界デザイン史」阿部公正 美術出版社 1995
「モダン・デザイン全史」海野弘 美術出版社 2002
「デザインの20世紀」柏木博 日本放送出版協会 1992
「近代デザイン史」柏木博 武蔵野美術大学出版局 2006


【オススメの参考図書】


増補新装 カラー版 世界デザイン史


このレポートは上記全ての参考文献をかなり読み込んで作ったので、オススメを一つに絞るのが難しいんですが……やはり最初に読むべき、という点でこちらを紹介します。
近代以降の歴史がざっと俯瞰できますし、教科書よりも写真が豊富なので取っつきやすいかと思われます。
また、「デザイン/近代建築史―1851年から現代まで」も比較的写真が多く、初心者に分かりやすいかと思います。

posted by 水乃みのる at 00:00| デザイン史(ムサビ通信)